むだな支出を減らして貯蓄が目標に達した時、注意したいことがあります。
それは、むやみに生活レベルを上げないこと。
わたしはそれで失敗して、貯蓄ペースがガタンと落ちたことがあります。
目標としていた貯金額が貯まった時って、達成感からか、「あー、もうこれで我慢しなくていいや」ってなりませんか。わたしはそうでした。
そして、そういう気が緩んだ時に何が起きるかというと、なし崩し的にお金を使ってしまうこと。
「これまでがんばってきたんだから、これはごほうび」の回数が飛躍的に増えてしまった。それまでの反動でしょうか。
生活レベルって、これは本当に気を付けないと、あっという間に上がってしまうんですよね。収入が増えた時は特に危ない。
卵1つとっても、以前は特売のでよかったのに、「やっぱ、〇〇の卵はおいしいよね~」って高い卵を買うようになったり。
そして、どんどん高級なものに手を出してしまう。最初は「おいしい!」って思った高級卵も、慣れればなんてことなくなっちゃうんですよね。おいしさを感じなくなってしまう。
これが生活すべての面でこうなると、支出もうなぎ上りです。
こうなりかけた時、わたしが戒めとしているのは、放送作家・小山薫堂さんの「幸せの閾値(いきち)を下げる」っていう言葉なんです。
以前読んだ、小山さんの本に「蛇口をひねれば水が出ることに感謝」みたいなことが書いてあって、衝撃を受けました。
いくらでも豪勢な暮らしをできる人が、そんなささやかなことに幸せを感じてる・・・。
それなのに、庶民のわたしが「もっともっといいものが欲しい」と、何を贅沢言ってるんだと反省したのを覚えてます。
閾値=感覚や反応や興奮を越させるのに必要な、最小の強度や刺激などの(物理)量。
当たり前のようにある幸せに慣れてしまい、それを感じることができなくなる境界、と言えばいいんでしょうか。
その「幸せを感じる境界ラインを下げる」ことの大切さを小山さんは書いてました。
人間の欲望には切りがない。欲望を満たしても、すぐ慣れてしまう。だから、幸せを感じるハードルをむやみに上げないこと。
わたしはそのように感じたんです。
幸せだな、っていう基準をむやみに上げない。
これ、わかるんですよね、ちょっとしたことで幸せだなって感じられる人はやっぱり幸福度が高いだろう、と。
この本を読んでから、閾値を下げる練習をしてきました。
原始時代、いや江戸時代の生活を想像して・・・
毎食ご飯が食べられてありがたい。電気が使えて便利だな。蛇口からお湯が出て、お風呂に入れて幸せだな。
ばかばかしいでしょうか?
しょっちゅうやってたら、ばからしくなるかもしれないですね。
でも、たまーに、これやってみてください。
繰り返しているうちに本当に、ああ、今っていい時代なんだなーって思えるようになるんですよ。
特に、自分より幸せそうな人を見てうらやましくなった日は、「ありがたいこと探し」の回数を増やしてみましょう。
ちょっとはうらやましい気持ちが治まるかもしれません・・・。
この訓練のせいか、ふたたび貯蓄ペースを元に戻すことができたのでした。