「東大」を辞めなければいけなかった人
わたしには忘れられない光景があります。
20代のころ訪れたフィリピンでの話です。
知人の日本人女性宅に泊まらせてもらったんですが、そこで、若い女性が掃き掃除をしていました。
以前訪ねた時は年配の女性が掃除していたんです。なので、その時は、ああ、家政婦さん変わったんだくらいに思ってました。
(知人はフィリピンで中流の生活レベルで、家政婦さんを雇うのは普通みたいです)
ところが、彼女が掃除を終えて、聞いた話が衝撃的だったんです。
「彼女、前の家政婦さんの娘さんでね、少し前までUP(フィリピン大学)に通っていたんだよ。お父さんが病気になっちゃって、大学を辞めて働くっていうから、うちで雇ったんだよ」というのです。
もっと職業の選択肢はなかったのか
フィリピン大学というのは、フィリピンNo.1の国立大。日本でいえば、東大です。
そこに通っていた人がですよ?
家政婦として、人の家の掃除をしている。
いや、家政婦がいけないとかじゃなくてですね。
日本だったら、中退とはいえ、もっといろいろな職業の選択肢があったと思うんです。
そのまま勉強を続けられたら、彼女にはいろんな選択肢が広がっていたはずなんです。夢もあったでしょう。
勉強したいのにできない、経済的に大学に通い続けられない。
そんな現実は何とも残酷で・・・。
もっとも、彼女のその後については知らないので、今頃は違う職についてるかもしれません。思い通りの職業につけてたらいいな。
学校が嫌いな子もいる
翻って、わが家のお子様は勉強嫌い。
というか、学校嫌いなんです。
学校へ行くのが嫌なんですよねえ、特に運動会とかのイベントが嫌いで。
大学を辞めなればいけなかった、そんな彼女を知っているから、余計比べたくなってしまう。
「勉強したくても、できない人がいるんだよ」「学校行けるのってありがたいことなんだよ」って。
嫌なものは嫌
でも、子どもの立場になってみると、そんなこと言われても困るでしょうね。
嫌なものは嫌、なんですから。
そんなお説教されたら、逆に、お母さんには気持ちをわかってもらえないーと反発を生むでしょう。
学校が嫌という子に、「学校へ行きたくても通えない人もいるんだよ」というのは、やっぱり見当外れです。
どちらが不幸なんだろう
勉強したくても学校へ通えなかった人と、学校が嫌なのに学校へ通わなければいけない人。どちらが不幸なんでしょうかねえ。
わたしが思うに、どちらも不幸ではないかと。自分が希望する人生と違う、という点で。
ただ、「学校へ行かなければ」と思いながら嫌々通っているうちの子は、行く・行かないが選べるので、多少マシでしょうか。
ホームスクーリングが認められないと、小学校や中学に行かない、という選択は日本では難しいかもしれませんが。
学校へ行きたい人は経済面で悩まされることなく行けて、行きたくない人には別の教育手段があったらいいんですけどね!
そもそも、学校の勉強以外に適性のある子どもだって多いはず。
もっといろいろ選べるシステムならいいのに。
こんなことを考えながら、もし、うちの子が「学校へ行かない」選択をしたら、どう対処したらいいのか、想像していこうと思います。