仕事に追われていた20代、共働きで家事・育児もほぼ100%1人でしていた30代のころを思い返すと、毎週気づけば、「え、もう金曜日?」な日々でした。
これを毎週繰り返し、あっという間に1年が過ぎ・・・。
忙しくて機械のような日々
特に子どもが生まれてからはひどいもので、忙しいけれど、ルーティン的な忙しさというのでしょうか。
決まったこと(子どもの世話や食事作り、掃除、洗濯、そして仕事)をより早くこなすだけの毎日だったのです。
まるで、機械みたいですね。
日々の暮らしを味わう余裕もなく、そんな自分のことを「家事・育児に、仕事もするロボット」のように感じていました。
ロボット生活は心を消耗する
そんな日々が続くとどうなるか。
とってもむなしくなるんです。
何のために生きてるの?って。
とにかく、猛烈に「自分の時間」が欲しかったです。
減らせるのは仕事の時間しかなかった
何かを減らさなければ、自分の時間を作れない・・・。
そう考えていった時に、家事・育児は家庭の中で誰かがやらなければならないけれど、仕事はパートだし、まあ誰でもできる。
となると、必然的に仕事時間を減らそう、できれば辞めようってなりました。
生活に困らなければ、「金より、時間」です。
生きていくためのお金を少なくする
当時、何のために仕事をしていたかというと、なんだかんだ言っても行き着くのは、「生きていくためにお金が必要だから」働いているという答え。
ならば、「お金を貯めて、お金がお金を生む仕組みを作ればいいんじゃない?」「
生活を小さくして、お金がかからないようにしたら、仕事を辞めてもだいじょうぶじゃない?」と思いました。
それからは、その2つのことを頭に置いて、生活を組み替えていきました。
低コスト生活が自由な時間を与えてくれた
「お金を貯めて―」(いわゆる資産運用)の方は、残念ながら成果はわずかでしたが、「生活を小さくして―」の方は効果が大きかったです。
収入を上げるのはなかなか難しいですが、支出を減らすのはすぐにできるし、低コストな暮らしにしたら、だんなさんの収入だけになっても生活できるようになりました。
さらに低コスト化を進めて、だんなさんの収入で暮らし、少し貯金もできる状態になった時、パートの仕事を辞めたのです。
日々の中にちょっとした感動がある
念願だった「自分の時間」が持てる生活ができるようになり、早いもので4年めに入りました。
ぼーっと過ごすことも多く、気づけば、え、もう金曜日?
ある意味、前と変わらない・・・(笑)
違うのは、1週間を振り返ってみると、あ、今週は角食パンがうまく焼けるようになったなとか、火曜日は虹がきれいだった、話題のあの本読めた、おもしろかった!といった「感動」が記憶として残っているんですよ。
仕事に家事・育児に追いまくられていたころと、今のここが大きな違い。
機械的に忙しかったあのころを思い返しても、そこには空白しかありません。
わたしは「セミリタイア的専業主婦」?
日々を味わえるようになって、今は幸せだなあーって思います。
この心境って、セミリタイア(早期リタイア)した人たちと一緒なんだろうか・・・。
セミリタイアブログを読むと、とっても共感できるのです。