そう言われればそうかも。

日常での気づきや「おもしろい!」と思ったこと、断捨離やお金のことなども。

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三菜も必要なの? 土井善晴さんの「一汁一菜でいい」は食事作りの「断捨離」だ。

料理研究家、土井善晴さんの提案は、食事作りに悩む主婦の救いになります。

 

家庭料理はごちそうでなくていい。ご飯とみそ汁で十分。土井善晴さんが「一汁一菜」を勧める理由

 

  ご飯を炊いて、あとは具だくさんのお汁を作ったら十分。家庭の料理は毎日、毎食、この一汁一菜でいいんです、という提案です。

 料理を作ることを義務だと感じている人、毎日の献立を考えるのが大変だという人にこそこれを実践してほしい。

 基本はご飯と、みそ汁。毎食これだけでもちゃんと健康は維持できるんです。

 

なんて、シンプルなんでしょうか。

これなら、誰でもできそうです。

 

続いては、「手間暇かけるのが愛情」神話について。

 家庭料理は、当たり前の下ごしらえ以上に手を掛ける必要はないんです。手を掛ければ手数が増えるので、その分だけ食材が傷んでしまう。

 

 ひと手間掛けることを愛情だと誤解している人が大勢いますけど、それは自分で料理のハードルを上げて自分を苦しめているだけ。

 

 心をこめて飾り立てるハレの日の料理と、日常の料理を一緒くたにする必要はないんです。家庭料理がいつもごちそうである必要はないし、いつもおいしくある必要もない。 

 

土井さん、もっと言って~(笑)

 

わたしは料理が苦手なのもあって、ご飯作りに手間暇をかけるのは苦痛です。

15分で食べ終えちゃうのに作るのに1時間かけるなんて、ばかばかしいとさえ思ってる。

 

手作りの料理を食べさせたいし、自分もそういう食事がいいという気持ちは一緒ですが・・・。

 

 一汁三菜にこだわったら、大変

しかし、よく言われるじゃないですか。「一汁三菜」って。

これが何気に負担でしたね、特に共働きのころは。

今日のご飯何にしよう?って。

 

メインが決まっても、副菜は?サラダは?って、献立決めが延々と続く。

これが、毎日毎日、なのですから、主婦が集まれば必ず出るといってもいい話題の一つが、「今晩何にしよう?」です。

 

一汁三菜も、土井さんによると、公家のハレの日の風習のようです。

 

なんだ、我々庶民には関係ないじゃん、ましてや毎日の食事作りには。

 

いわれもよく知らず、自分で自分を縛っていただけだったんです。

 

「つくりおき」にはなかった発想

「つくりおき」が一時、ブームになり、わたしも飛びつきました。

 

関連記事:共働きに必須、『つくおき』で健康&時短な自炊生活。おうちがデリになる! 

 

真似してみたものの、実はすぐに挫折しました。

めんどくさい・・・。

 

そして、ある違和感があったのです。

「毎日、こんなにいろいろなものを食べる(作る)必要があるのだろうか?」という。

 

「つくりおき」って、「一汁三菜」が前提にあるような気がします。

こんなに「作らなければいけない」から、まとめて作っておこうという。

もし、そんなにいろいろ食べなくたっていいよ、ということになれば、つくりおきの必要もない。

 

つくりおきは、片付けにおける「収納技」に過ぎない

大量の何かをこなすための技術であるという点で、これは何かに似ていると思って考えたら、片付け分野でいうところの「収納技」に当てはまるなあと思いました。

 

一昔前、「片付ける」というのはイコール「いかに上手に収納するか」だったと思うのですが、それと似ているな、と。

収納技というのは、そこにあるモノたちをすべて、スペースの無駄なく押し込める技術でした。

 

そこから、「捨てる」ブームや断捨離の考え方が浸透し、「ある」という前提を疑い、必要なものだけ残すシンプルライフ、ミニマリズムへと〝進化〟していったわけで、土井さんの「一汁一菜でいい」という提案は、この流れと似ていると思いませんか。

 

「一汁三菜」というミッションを前提に、いかに効率的にこなすかーから、「一菜」だけでいいんじゃない?という転換。

 

土井さんの提案は、いわば、食事作りにおける断捨離です。

三菜も必要なの?

 

疑問点は著作で

じゃ、栄養面はどうなの?、一汁一菜でいい科学的根拠は?といった疑問には著書で応えているようですので、気になる方はチェックを。

 

わが家は、一汁一菜にもう1品プラスするくらいなら負担なくできるし、最近はそのスタイルにしていたので、そのままそれでいこうと思います。

 

一汁一菜でよいという提案

 

レビューが泣けます。主婦は食事作りに追い詰められている・・・。