親が子に対してガミガミ言ってしまうのは心理的な距離が近すぎるからでは?と、最近思うようになりました。
そんな時、昨日ですが、このようなブログを読みました。
みやもさん、いい記事書かれてます。
「距離感」が近いほど人間関係はめんどくさい。人付き合いを円滑にするコツは距離を取ること。 - エドマル
ほどよい距離感で人と付き合う
違う人間同士、近づけば近づくほど価値観の違いやアラが目立ってしまいます。
かといって、もめるのが嫌だからーといって距離を取り過ぎたり、無関心だったりすると、全然人間関係が深まらないし・・・。
だから、適切な距離を取るのが大切なんですね。
この加減が難しい。
わたしはこの匙加減が下手でずいぶん苦労してきたし、いまだに友だちは少ないです。
大人になるっていうのは、人間関係の距離の取り方をうまく取れるようになることと言ってもいいくらいではないでしょうか。
家族は近づきすぎる
家族がほんといい例ですよね。
友人親子(娘ちゃんは小6)の様子を見ていると、「ああ、子どもの領域に踏み込み過ぎだな」って思ってしまうのですよ。
子どもを自分の思う通りにコントロールしようとしているのです。
(とはいっても、病的なほどではなく、宿題をやるとか、片付けをするとか常識的な範囲です。
ただ、子どもにとっては訓練が必要なことではあります)
そこまで世話を焼いたら、子どもも反発するよね・・・。
ふだんはそこで、友人もカーッとなって口げんかに―のパターンだそう。
そうだろうねえと、人のことはよくわかるのです(笑)
忘れ物をしようが、遅刻しようが、自分で痛い目に合わなきゃわかりません。
だから、友人には「放っておいてみたら?」というのですが、子どものことが心配みたいで、なかなか納得してもらえません。
確かにいきなり、熱すぎる世話焼きを一切やめてしまうのはよくないので、どうしたら遅刻しなくて済むのか一緒に考えながらサポートしていくのが一番いいように思います。
わが家は今は平和に暮らしてます
この友人の例のように、うちも小学校低学年までは、よくこのパターンでバトルしてました。
今そういうことがほとんどなくなったのは、別にわたしが優しいお母さんに変身したからではなく、単に怒るのに疲れただけ。
だから、怒らなくて済むシステム作り(片付けルールを作るとか)をしたうえで、子どもの領域に踏み込まないことを心掛けるようにしました(子ども部屋が散らかっても放っておく)。
「子どもの領域」というのは、子どもが自分でやるべきことということで、宿題をするとか、部屋を片付けるとか、(軽めの)お友だちトラブルとかですかね。
サポートはしますが、それはあなたの課題でしょ、というスタンスを取っています。
親として心配ではあるけれど、「子ども自身の課題」に手を出さないよう気を付けるようにしました。
そうすることで、血圧が上がる機会(怒鳴ること)が減り、心穏やかに過ごせるようになったんです。
子どもにとって、親の無関心も寂しい
世話焼きな親も困りますが、無関心な親というのも子どもにとって寂しいものですよね。
友人の場合は、子どものことに関心があり過ぎて口うるさい親になってしまっているのですが、逆に関心を持ってもらえないのも子どもにとってはつらいことです。
うちの両親は子どものことにどちらかといえば無関心でした。
心理的に癒着してくる親よりもよほどよいですが、進路のことも興味がない?ようで、ちょっと寂しかった。
もう少し関心を示してくれてもよかったのではーと思います。
親の介入は嫌だけど、共感はしてほしい
介入されたり、指示されるのは嫌だけど、つらいことがあった時には共感してほしいし、困った時には支えてほしい。
子どもだった時、そんなふうにしてもらえたらうれしかったなと思います。
実際は、家族に対して(特に子どもには)反対のことをしがちではないでしょうか。
介入や指示をしてしまったり、つらいことがあった時は共感どころか「あんたも悪い」なんて言ってしまったり・・・。
これがもし友人や知人だったらどうでしょう。
批判したりせず、「そう、大変だったんだね」と客観的に共感できたりする。
家族には客観的に、他人には身内のように接する
なので最近は、「家族には他人のように、他人には家族のように」接することをモットーとしています。
こうすると、適度な距離を取りやすいです。
ついつい家族の心には立ち入りすぎてしまうし、周りの人のことは無関心になりがちです。
なので、家族の意見や行動は「他人のように」尊重し、他人の話には「親身になって」対応する。
これくらいでちょうどよいのかなあと感じています。
せっかくの子どもに対する愛情が「お母さん、うざい」にならないよう、心理的な距離を適切に取っていきたいものです。