これ、すごいよくわかる~と思いながら読んでました。
とにかく、めんどくさいことと、時間がかかることと、同じことを繰り返す事はどうせすぐにやらなくなってしまうので、そうしなくてすむようにだけを考えています。
努力とか、がんばるとか、意志を使わなくていい環境だけを作りこむようにしています。目標は歯磨き以下の労力。 - 勝間和代が徹底的にマニアックな話をアップするブログ
合理性を追求するタイプの人は、同じことの繰り返し、かつ、進歩が見られないことが耐えられないので、「・・・それって、めんどくさくない?」ってしょっちゅう感じるように思います。
ここからは、勝間さんのエントリに刺激されて考えてみたことになります。
「家事が好き」とか、「家族のために家事をするのは全然苦じゃない」という人には理解不能だと思いますが、そういう人もよかったら読んでみてください。
わたしが思う「めんどくさい」の代表的なものは何といっても家事!
家事はまさに、「同じことの繰り返し」であり、「進歩が見られないこと」の代表的なものです(かつ無報酬 涙)。
効率や進歩を重視するタイプの人間にとって、家事は究極の「罰ゲー」と感じます。
同じことを何年もやってるし、この先も繰り返しやっていかなきゃならない・・・
成長も報酬もない作業なので、「家族のため」とか思わないとばかばかしくてやってられません(わたしはね)。
これが「価値あること」と思わされているのは、ある種、社会からの洗脳でしょう。
まあ、たしかに必要最低限の家事はしないと不都合が生じる(衛生面とか栄養面とか)のでやらなきゃいけませんけが・・・。
そうなると、
・いかに時間をかけずに
・最大限の効果を得るか、
がポイントでしょう。
(家事があほらしすぎて最近、「家事労働から解放される家」が作れないか妄想することが多くなりました。
女性が家族全員の家事から解放されるのが、最後に残った「奴隷解放」なのではないかなあ・・・
ていうか、人間が家事をやらなくてもいいじゃん、て考えてます)
話を元に戻すと、勝間さんの家事スタイルはストイックなまでに合理性、効率を追及したものなんですが、それはこういった発想から生まれてきているんだなあということがわかるエントリでした。
それに対する様々なコメントがおもしろくて、「それ(歯磨き以下の労力)に到達するには知識と財力と諦めず考える努力が必要」という意見も。
このコメントを投稿した人は、歯磨き以下の労力でできる環境づくりには憧れるけれども、いろいろな資源がなく、そこまでの「努力」ができないーということでした。
これは、人と話してても思うことなんですが、何を「努力」と思うかはそれぞれで、人により「努力ポイント」が違うんですよね。
ある何かの作業を効率化させたいと思い、「効率化のための努力」を惜しまない人と、「繰り返し同じことを続ける努力」ができる人っていますよね。
家事労働の場合でいうと、前者は「環境を変えよう」とする人であり、後者は「環境に順応する」「環境を受け入れる」人です。
後者にとって前者のように、常に考え続ける人は「努力家」と映るけど、前者から見ると後者の方が「毎日ずっと同じことを繰り返せてすごい。なんて努力家なんだ」と見える。
お互いそれぞれ「努力」とは思わず「努力」しているわけです。
勝間さんにとっては家事の効率化は「努力」とは思わずやっているんだと思います。むしろ楽しいはず。
「努力ポイント」というか、努力の方向性が違うんですよね。
そして、どちらが時間もお金も豊かになれるかというと、環境改善に努める前者でしょう。
前者は、時間がたつごとにどんどん「進歩」していけるし、最新家電を買うお金があれば飛躍的に効率化できる。
そしてその浮いた時間でさらに生産的なことに打ち込め、お金を稼ぐことができるというわけです。
後者だとせいぜい、「なるべく早く手を動かして早く終わらせる」くらいしか出口が見えません。
「環境に働きかける」方が有利です。
ちょっとわかりづらい文章になってしまいましたが、伝わりましたか。
そんなふうに思ったので、わたしも早いとこ家事という名の「罰ゲー」を卒業して、たっぷり時間を持つ人、お金を稼げる人になりたいなあと思ったという話でした。