そう言われればそうかも。

日常での気づきや「おもしろい!」と思ったこと、断捨離やお金のことなども。

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「人とは違う部分」を見せていくことと、「ちょっと不幸そうな人」だと思われることで楽に生きられる。

ちょっと前に、『とくダネ!』でコメンテーターを務めてる深澤真紀さんの本を読んで「よし、今後の人生は『ダメ人間』として生きていこ!」って思いました。

 

 

「そこそこ ほどほど」の生き方 (中経の文庫) 

 

深澤さんの文章はユーモアがあっておもしろいし、読むとほどほどに力が抜けていいですよ。

 

 

わたしはこれまで真面目に生きてきて「あの人は真面目でしっかりしてる」という周りの評価だったと思います。

 

でも、自分としてはいろいろ周囲に合わせたり遠慮したりして、いまいち充実感ある生活とは言い難かった。

たまにやりたいことが出てきても、「しっかり者で変なところがない(無難な)人」という評価を落とすのが怖かったです。

 

だけど、両親が60代で亡くなったり自分も加齢して「元気な時間はそう長くないんだ!」と気づいて方向転換することに。

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深澤さんの本を読んだのもそんな頃だったかな。

 

すっかり、やりたいことをやる派になりました。

代表的なのはランニングですね(田舎はそもそも歩いてる人さえ少ないんで走ってる人はさらに目立つ。ランナー=「ちょっと珍しい(変わった)人」扱いになる)。

 

そうしたら、自分も生活の充実度も変わったんですよね。

ランニングや再開した山歩きを通じて新たな仲間にも出会えました。

思い切って「(ちょっと)変わった人」になったことで人生がより楽しく、楽に生きられるようになりました。

 関連記事:「人生の残り時間」を計算する。

 

 

あとちょっと話は変わるけど、変に人の妬みを買わないよう工夫(?)してることがあって、通常は人に知られたくないであろう「ボロい家に住んでること」「大して仲良くもない家族の間柄」をあえてネタにして笑いを取るようにしてます(「一家団欒の時間なんてほぼ0だよ〜」とか。笑えないかw)。

 

 ボロい家を補修しながら住んでます。

 

そんなことしなくたっていいような気もする 笑 けど、子育てにお金のかかる時期に働かずにいられるわたしの身分って、人に話すとすんごくうらやましがられるんですよね(お世辞かもしれないけど)。

自分でも毎日好きなことに時間を費やせて何て幸せなんだろうって思いますもん。

 

これで、ピカピカのおしゃれな家に住んでていい車に乗って稼ぎのいいだんなさんと優秀な子どもがいたりしたら、どうですか?

めちゃくちゃ妬まれそうじゃないですか。

いや、妬むわ(少なくともわたしは)。

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だからあえて、見える「不幸」を前面に押し出して「中和」してるというわけ。

 

そうすると、「ああ、あの人が働かなくていいのは家がボロいからなんだ。ついでに家族仲もそんなによくないみたいだし、うちの方が幸せだわ」となる(はず)。

ムダに妬みを買う必要はありません。

 

「ちょっと不幸(そう)な人」くらいがちょうどいいポジションなんですよ。

そこはかとなく(笑える程度の)不幸感を漂わせつつ、毎日の生活を精一杯楽しむという作戦なんです。

 

 

思い切って人とは違う面を少しずつ見せていくこと、不幸な(恵まれてない)面も隠さず出していくこと。

これらができると肩の力が抜けて楽に生きられるなーと感じてます。