昨日、水害ボランティアに駆けつけてみて思ったことは、モノのはかなさと自分は何を持って逃げるだろうか?ということでした。
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もし、救命ボートで救助されることになって、持ち出せるものはごくわずかという状況になったら何を持っていけばいいんだろうか。
今回の台風の雨量はすごかったらしく、ふだんはほとんど流れてない川が濁流状態に。
昨日、水害にあい1階部分が1m以上浸水した知人宅の片付け手伝いに行きました。
家の中の惨状も胸が痛かったけど、「これ大事にしてたんだけどね⋯」と言いながら水浸し、泥まみれになった物たちを片付ける姿が悲しかったです。
知人の家はもともと割とスッキリしてたから捨てる物が比較的少なかったです。
それでも大量に処分する物が出ました。
畳から家電から全部ダメになったんでしょうがないですね。
ところで家に帰ってきてから考えさせられたのは、これまた水害にあった別の知人の話を聞いてから。
なんとボートで救助されたそうなんです。
みるみるうちに増水して玄関ドアが開かなくなり、掃き出し窓からボートに乗ったとか。
救助が来てボートに乗るまでのわずかの時間に、とりあえず必要なものを持っていったそうです。
(この知人宅は戸建だから2階に荷物を上げておけば問題ないけど)この話を聞いて、さて自分だったら何を持って救助ボートに乗るかなって考えちゃいました。
もし「もう二度と戻れない」という状況だったら?
これは、「いいな」と思ったものを買うかどうか、またはすでに買ったものを持ち続けるかどうかの究極の判断基準の1つに加えてもいいかもしれませんね。
「それ持って逃げる?」と。
さて、何を持っていこうかと考えた時わずかな物しか持ち出せないことに悩まされました。
救命ボートだから大荷物は乗せられません。
せいぜいリュックに入るくらいの分でしょう。
そう考えた時にまず思い浮かんだのは、猫を入れたキャリーバッグ(これは手荷物として)とお気に入りのマグカップ、母と父の写真1枚ずつ、貴重品(キャッシュカードやクレジットカード)とスマホ、そしてこのPCくらい。
娘の写真はクラウドにデータとして保存してあるから問題ありません。
もっと考えればあれもこれもとなるんだろうけど、とりあえずこれくらいしか思い浮かびませんでした。
逆に言えば、これら以外は(お金があれば)また新たに買えばいいっていうことだ!って気づきました。
そのことがわかって、何だかモノに対する執着がまた一段と薄れたような気もするし、反対に、だからこそ日常使うものを大事にしていこうという気持ちも生まれました。
モノを持つ判断基準はここまでシビアに考えなくてもいいかもしれません。
以前読んだドミニク・ローホーさんのこの本も参考になります。
「自分の家が火事になったと想定し、まずなにを買うべきかリストを作ってみる」。
取っておくか捨てるか迷うものは、それを新たに買い直してまで欲しいものかどうかを問うと判断しやすいかもです。