ほんとに「必要」な季節の行事って、現代では少ないなあと思います。
町を歩いてたら、クリスマスの飾りつけをした店を見かけました。
これまでだったら例年この時期は、やれクリスマスだ、年末準備だと気忙しかったです。
でも「クリスマスはいらないなー」ってなってからはずいぶん気が楽になりました。
年末準備だけ頭に置いとけばいいですからねえ(とはいえ、チキンだけは焼いて食べるけど)。
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以前は楽しみだったバレンタインデー(デコチョコ作り)やクリスマス(クリスマススの飾りつけなど)。
最近ではハロウィンもかわいいグッズが多くて飾るのが楽しみでした。
でも、子どもも中学生になってそういったイベントもそんなに喜ばない(ごちそうは食べたいらしいけど 笑)。
ふと我に返ると何のためにやっているのかわからなくなって準備を負担に感じるように。
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イベント的な年中行事に大した意義も見出せないまま、準備と当日のごちそう作りに追われて(というほどすごい料理を作るわけではないけど)疲れるなあって思うようになってきたんです。
そこで、今年はイベント行事を基本やらないことにしました。
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毎月のようにある季節行事がなくなって楽チンだったなあ。
心穏やかに1年過ごせたし、その分自分のやりたいことに集中できました。
ところで、そもそも季節行事とは何か、何のためにあるのか?と自分なりに考えてみると、
- 娯楽に乏しかった時代、日常の変化付けとして行われてた
- (現代よりさらに不安定だった)農業の豊穣祈念や自然への恐れ・感謝
- 宗教的な意味合い
が主だったところかと。
自分たちの力ではどうにもならない自然環境への恐れ、神への感謝の気持ち、季節の変化を感じる文化。
年中行事ってそんな中から生み出されてきたんでしょうか。
娯楽の少ない時代の、じいちゃん、ばあちゃん世代くらいまでにとっては収穫を祝う秋祭りはとっても楽しみな行事だったようです。
でも科学が発達して自然現象の解明が進む中、自然への畏怖の念というのは減ってきてるし、自然に密着した暮らしをしてる人(農業者とか)はごくわずか。
だから季節の変化にわたしたちはそこまで敏感じゃないし、興味もありません。
何より、無料の娯楽やおいしい食べ物が溢れてるから「ハレの日」としての行事を待ちわびることもない。
そんなわけで、季節行事の「必要性」はほぼなくなってきてます。
大変な思いをしてまで行事をする意義を見出せなくなってるのは当たり前でしょう。
現代でも盛大に行われてる季節行事(ハロウィンやクリスマス、バレンタインデーなど)って消費喚起の意味合いが強いです。
とはいえ、特別な料理を作らなくても、何か飾りつけをしなくても「あ、今日は節分か。春はもうじきだなあ」というように「季節を感じる気持ちの余裕」みたいなのは持っておきたいです。
あと、年越しはやっぱり別格なんでそれなりに(少し)準備していくつもり。
ただ、豪華なおせちはいらないし、大掛かりな掃除はしなくてもいっかなあ。
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文化や伝統を守るのも大事だけど、それに意義を見出せなくなったり負担に感じたりするくらいならやめてもいいんじゃない?
そんなふうに思うようになりました。